タウン誌原稿

社外から唯一催促されるのが地元タウン誌の2,400字の与太話随筆。
何もネタが浮かばず焦っていたが、なんとか書き上げ届けた。
(毎回すみません編集氏)
今回のネタは「メディアの声」

去年仙台で学習院大仏文教授で文芸評論家の中条省平氏の講義を聴いていて蒙を啓いたことがあった。
それはフローベルがわずか150年前に始めた主人公を「彼」と呼んだことであった。
それまではアラビアンナイトのシェラザードのように、作者の分身である明確な語りの「声」が直接読者に語りかけ、主人公は「私」として登場するのが常だった。
「彼」という新しい「声」の発見が、小説の可能性を広げたという講義であった。

これは小説家ばかりでなく、編集者やテレビマン、雑誌記者、ラジオマンにとっても読者や視聴者に語りかける声色の選択は本質的な課題だからである。
メディアをその「声」で整理してみた。
新聞・・・権威ある声・・・「立て札」

雑誌・・・匿名の声・・・「落書き」

テレビ・・・視聴角度10度の声・・・「覗き穴」

ラジオ・・・「友人の声」


声色が違うから何年もの間棲み分けてきたのです。

パソコン通信は俺にとって昔の連句連歌を想い起こさせる。

だから声色の違うメディア融合論などはハードシステムの発想であって、それぞれの職業本能とは相容れない考え方だと思う。

・・・・こんな観点から駄文を書いた。