眼の前は未来か?

私が6歳の54年前、12月23日に父が49歳で亡くなり母は24年前に72歳で亡くなった。
父は非嫡子で母の姉妹も皆亡くなった。
母方の従兄弟はいるもののこの地には居ない。
私には3歳下の妹が一人いるが他県に嫁ぎ、たまに電話で話すぐらいだ。
父が亡くなった頃母はそのショックもあり病に倒れ入院した。
私が小学校に入学した秋のことだ、妹は4歳。
学校から帰ると一人家で待つ妹は「お母さんのところに行きたい」と駄々をこねる。
母が入院している病院まで歩いて15分ぐらいなのだが、晩秋のこと夕方5時ともなれば陽が落ちる。
母は「家に帰りなさい」と弱々しく言う。
むずかる妹の手を引き病院を出る。
すっかり帳の落ちた自宅までの道を始めは手をつないで歩くのだが、しばらくすると妹は「お兄ちゃんもう歩くのがイヤだ」と言う。
私はむずかる妹をなだめるのだが泣き始める。
仕方がなく妹を背負いお話しを創っては話しかける。
妹の体温が熱い。
二人を主人公にした創作冒険物語の途中で妹の寝息が背中で始まる。
ようやく家にたどり着く。
真っ暗な玄関の前に妹を降ろし錠前で引き戸を開ける。
電気をつけ、ガスストーブに点火しコタツに妹を寝かす。
誰もいない自宅のちゃぶ台には近所のオバサンが作ってくれた醒めた夕ご飯がある。
昭和30年、まだテレビも無い。
当然レンジもない、味噌汁をガスレンジで温め妹を起こす。
石炭風呂の新聞紙に火をつけ火が回ったところで石炭をくべる。

二人でご飯を食べ妹と風呂に入り、また創作冒険話で妹は眠る。
私の小学校時代は母は大概入退院を3年間ほど繰り返していた。

今思うと過去ははっきりと鮮明に思い出される、「バック・トゥー・ザー・フューチャー」
「温故知新」と言うじゃないか!
これから先何が起こるかなんて誰にも解らないと思う。
この大恐慌だってそうだ、一年前誰が想定できたのか。

私は最近人間は後ず去りをしながら背中からおずおずと未来に向かって歩いているのだと思うようになった。
眼の前は過去、頭の後ろは未来だ。
先は何も見えない!

しかし自分の歩んできた過去を見ながら満更でもない自分の越し方を信じて、歩むしかないではないか!
過去から学ぶ。