年の瀬に思う

hananohideji2008-12-30

降り続いた雪も昨日の晴天と今日の小雨で随分と融けた。
三十日なので注連飾りを飾り(大晦日は一夜飾りといって忌み嫌われる)お供え餅も仏壇や神棚・玄関に供え、バァさんが正月用の花を生けている。
去年を思い出す、一年前の今頃は一人病院個室での絶飲食・輸血・点滴での年末年始であった。
その時かかえていたタウン誌への随筆原稿を断ろうかと電話したが、病院まで編集長と編集者がやって来てダメだという。
五日まで2,800字落とせないと言う、そんな訳で紅白歌合戦も観ず元旦3時までかかって原稿を書き上げ夜回りに来た看護師に怒られた。
私のベッド上の「絶飲食中」の張り紙を見て編集長たちは「まるで動物園のゴリラにエサを与えないで下さいじゃないですか?」と笑った。
揚句に「ここの病院食堂のカツ丼美味かったですよ〜」とまで言う。

会社で大量に下血し、救急車で運ばれた時は血圧が65-37という状態、「大腸憩室炎出血」と診断され普通の5倍のスピードでの血圧を上げる点滴でようやく血圧は95-60までになった。看護師は危なかったと言う、大量失血死を心配したらしい、厄年の年の瀬であった。

そして今年、その私をからかった編集長氏はこの世にいない。
5月中旬緊急入院、病院は私が入院していた病棟だった。
毎日見舞いに行き知人であった内科部長にも最善の治療を頼んだ。
しかし長い間の糖尿病から来る合併症で入院からわずか6日目に亡くなった。
享年52歳、あまりにも早い急な逝去だった。
個人的にもお酒を呑んだり芋煮会をしたり、親しくしてもらっていた。
そんなことから葬儀では弔辞を手向けさせて頂いた。

その彼から取材のイロハを教示指導してもらった編集者が、この秋ある大きな文学賞の大賞に輝いた。
600枚を超える社会派ミステリー小説だ。
新しい年の1月10日にその小説が本となって発売される。
早速サイン会も企画されている、場所は編集長氏が勤務していた書店の一番の大型店舗だという。
ポスターもできた、写真は春爛漫枝垂れ桜の下での編集長自ら撮ったスナップ。
二人で取材に出かけたときに記念に撮って貰った一枚だと言う。
いつも二人は一緒で私は「君達は二人で一人前か?」とよくからかったものだ。

一人は幽明境を異にし、一人は作家となった。
今年も間もなく暮れる。
永瀬清子の詩「諸国の天女」の一行を思い出す。

 「きずなは地にあこがれは空に」

さて来年はどんな一年になるのだろうか年の瀬に思う。