に乗っていたのは石川さゆりだけじゃないっていう話。

斉藤茂吉の歌集『赤光』の中の一首、

   死に近き母に添い寝のしんしんと遠田のかわず天にきこゆる

茂吉の生家は山形県上山市金瓶村、
ふるさとから母危篤の報を受け、茂吉は上野発21時の奥羽本線に乗り込んだ。
当然機関車である、福島県から山形県に入るには、スイッチバック方式で板谷峠を登り、休みまた登り列車はあえぎながら登ってくる。

峠のトンネルを抜けると朝ぼらけの中眼下に置賜盆地が見えてくる。
ふるさとに入った、茂吉の心は母に早く会いたい一心だったろう。

朝8時茂吉の乗った列車は上山駅に着いた。
いとこの守谷何某が迎えに来ていた。

茂吉はその時のことを随筆集『ねんじゅ草』に書いている。

山形新幹線が開通してこの春で15年、茂吉の時代、上野から上山11時間が今や2時間15分だ。
しかし風景としての朝ぼらけの中の機関車が茂吉の母に早く会いたい気持ちを想起させるのに、新幹線のあの車体では、ふるさとの原風景が強姦されるみたいで好きになれない。