成長は目に見えるけれど、停滞や衰退は目に見えない。

 前の放送局での経験などから学んだことの一つに、これがある。
 成長は売り上げの伸長とともに利益も拡大し、社員の給料やボーナスに跳ね返り、
 社員の数も増える。
 設備投資も活発に行われ、建物も大きくなり、スタジオも立派になる。

 そのうち社員や経営陣の目線はいつの間にか内向きになり、世間に背を向け
 男どもは車座にすわり、社内行政、談合、ヨイショやお追従、
 派閥なども出来始める。
 管理部門と現業部門が陰湿な足の引っ張り合い。
 顧客(視聴者)のことなどお構いなく、目先の売り上げ確保のため、
 愚にも付かないスポンサーヨイショ、政党ヨイショなどの番組を平気で作り始める。
 ニュース報道にもタブーが色々出来てくる。
 自社の大株主の顔色をトップが伺うと、それに追従してオッチョコチョイの馬鹿
 プロデューサーが利いた風な企画を出す。
 社長は、「なかなかいい企画だな」(オーナーも喜ぶだろう)、とОKを出す。

 こういう様を見てまともなジャーナリストは育つ訳が無い。
 親ばか、と馬鹿親は違うのだ。

 目に見えない空気が蔓延、そのときはもう手遅れだ。
 ここのどこに、知識集約産業と自負する、知的品性があるというのだ。

 この原理原則は、どこにでも当てはまる。
 人間でも体格は目に見える、大きくて力持ち。
 でも体格の大小で人は死なない。体質で死ぬのだから。